とある何人の一言 – ミスターMの大気圏突入 –

ようこそ『とある何人の一言』へ。笑いの観点から社会を正す謎の男、ミスターMが私の個人的な価値観を拠り所に、刺して刺して刺しまくります。

その八、歴史とは何か、無知と誤認に溺れる歴史論争を刺す!!

      2014/10/08

~以下、殉難者遺書より引用~

素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残してあります。
素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前が幸福者と思います。生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで貰いなさい。

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追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。

海軍少尉 植村真久

村御一同様
遂に肉嗅相別る 心中亦空し 再び相接するの期あらんや
唯靖国の庭に会ふことを期す 邦家の為完爾として散らん
戦局まさに危急 国家存亡の秋 雲染む屍
大空以外 誰か他に散らんと欲せん
悠久三千年の歴史を顧み 唯大義に生くるのみを本分とす
国を思ふまにまに 一命敢て論ずるに足らず
見敵必殺の意気に 沈まざる敵空母なしと信ず
終りに在世中の御厚意を深く謝し 御多幸を御祈りします

福田周幸

~以上引用~

これは先の大戦(大東亜戦争)において、年若くして兵員として戦争に参加し祖国の勝利と以後の繁栄を信じて散っていった我々の祖先が残した言葉です。

以上を読んで皆さんはどう感じるでしょうか。「彼らは権力者のエゴの犠牲となった被害者」と思う方もいらっしゃるでしょう。一方で「祖国のために自らの命を差し出した英雄」と見る方も少なからずいるようです。また「無知ゆえに命を無駄遣いした愚者」とする受け取り方もありえます。「国や軍による検閲があったから遺書に本心は書けず、彼らは厭戦派だったはず」という論調がよく見受けられますが、これは検閲があった→本心を書かなかった→実は戦争反対だったというかなり荒っぽい三段論法のようにも思います。しかしこれも解釈のひとつであることに間違いはないでしょう。

既に彼らより幾らか長く生き、恐らく今後もしばらく生き続けることができるであろう私は、彼らの言葉を前に胸が掻き毟られるような気持ちになります。彼らが私などと比して余りに立派で同時に不遇であったこと、そして私の享受している現在の平和が彼らの犠牲の上に成り立っているということに対する感謝と同情と疚しさの念に激しく駆られるためです。

彼らの手記を読む度に不覚にも涙しそうになり、いや、男のくせに泣きそうとか言うと格好悪いのですが、つまらない自尊心のために事実を歪曲するのは真摯ではなく、また英霊に対して礼を欠くことにもなりますので正直に申しますと、大いに泣きました。むしろ哭きました。

先の大戦時に限らず、先史から現在までの先人たちの築いてきた歴史は我々にとって価値ある財産であると考えています。先人の歩んだ道の上に現在の私が生かされており、その意味では私が直接に経験したことのない日本人のかつての苦難と葛藤の記録が今を生きる私の血肉となっているとも言えるためです。

しかしそもそも歴史とは何なのでしょうか。前述では手記を受けて複数の解釈の例を挙げてみましたが、このように歴史的資料は同一であるにも関わらず、その受け取り方は各人によって異なります。歴史は一つではないのか、或いは歴史とは定まった実態を持たず様々に変容していく幻想に過ぎないのか。ここでは「歴史」を過去に起こった客観的事実と定義したいと思います。そしてこの「歴史」を個人がどう評価するかという歴史認識を「歴史観」と呼ぶこととします。

現在の日本と日本を取り巻く国際社会において「歴史」と「歴史観」は混同されています。靖国問題や教科書問題、戦後賠償問題等を総称した歴史問題全般において、各国各人の「歴史観」の相違をどう克服するかが争点となっていますが、「歴史観」は個人によってバラバラなのが当然であり、ある事実を受けた個人がどう感じ、どう思うかに良いも悪いもありません。歴史観をある一定に統一し国際基準を設けようとする動きは特定イデオロギーによる思想統制以外の何物でもないのです。

歴史問題に揺れる中国や韓国、また一昔前のソビエトなどは日本やアメリカと比べ知る権利とそこから生まれる言論や思想の自由は制限されています。日本は独自の歴史観を持たず精神までもアメリカに依存していますがそこは本題ではないので割愛し、ここでは中韓に絞っていきたいと思います。かの国らにおいては「親日」を叫びづらい現状があり国益に反する事実があってもそれが情報として行き届かないため、国交回復と同時に国家間の賠償は解決し、戦争が完全に過去のものとなった歴史(=事実)を多くが知らないのです。無論中韓には戦中に耐え難い被害を受け、それに対する保障が十分でない者もいるでしょう。憐れみから犠牲者を救おうとするのは各人の自由ですが、少なくとも日本国として何らかの対処をする義務はありません。

これが「歴史」であり「中韓の被害者が可哀想であるから戦争を起こした日本が公的に謝罪と賠償しなければならない」というのは一つの「歴史観」からくる主張に過ぎません。歴史と歴史観は全く異質なもので、その歴史観もそれぞれで違ってくるのが当たり前なのですが偏向した教育や報道によって特定の歴史観のみを殊更に宣伝し、歴史あっての歴史観というプロセスを無視することのみならず自分達の歴史観を正当化するために本来の歴史そのものを改竄する者もいます。親日派という理由のみで国家が本人やその子孫の私財産を国家が奪い、反日思想を国策として法制化する隣国やそれに同調する日本国内の一部の者がそれです。

事実は一つ、しかしその解釈は決して一様ではありません。歴史と歴史観の混同とは自らの解釈のみが事実であると誤認すること、更には事実を受けて結論を出すという思考順序とは逆に結論ありきで辻褄合わせの事実のみをピックアップすることを言います。真の歴史が歴史観によってかたちを変えられているのが歴史問題の最も危険なポイントなのです。

これは反日主義者だけではなく、親日派や反中韓主義者にも同じく言えることでしょう。私は冒頭で特攻隊の手記を読み胸が震えたと述べましたが、このように歴史を通して何らかの意味を感じ取った場合、その瞬間に歴史が歴史でなくなります。歴史とは感情や思念で汲み取るものではなくそれ自体は一切の意味も意図も持ちえません。冷徹でドライなただの情報のみを指しますから本来の歴史なんてものはドラマ性などなく無感情で殺伐としています。

歴史に関する著作やテレビ番組などを通して歴史を知るとしても同時に制作者の歴史観を学ぶこととなります。過去に起こった歴史的出来事の一つをとっても、ある者には利益をもたらし反対にある者には損益を与えるという複数の事実が生まれ、両者のどちらの視座をとるかで解釈は全く別となります。

顕著な例として秦の始皇帝を挙げてみましょう。彼は群雄割拠の中国大陸を統一し中国史上初の皇帝の地位を得ますが、偉大な功績を残した一方で異民族や思想の異なる人間を徹底的に迫害した暴君でもありました。また過度な公共事業と配下の人選を見誤ったことで始皇帝亡き後の秦は急速に力を失い、相次ぐ反乱軍の勃興によって滅亡した短期王朝でした。

秦に滅ぼされた国の残党や秦に反感を持つ民が多数いたためか始皇帝を非道な愚将と評する当時の記録もありますが、現在の中国では当時とは打って変わって始皇帝は政府主導で持ち上げられ国民からは英雄視されています。始皇帝が漢民族(漢民族という言葉自体は漢代以後に用いられましたが)だったことに加えて、チベットや台湾をはじめとした反対勢力に対する中共の政治スタンスと始皇帝の政策は確かに共通する部分が見受けられるのですが異民族や学者のみならず配下までも糾弾した非人道的独裁者であった始皇帝がヒトラーと正反対の評価なのはやはりご都合主義の歴史解釈ゆえでしょうか。

主観があり感情のある我々人間には完璧で完全な歴史を把握することは不可能と言えます。そのうえ出来事を歴史として記録するのは歴史家やジャーナリストですから、史実とされた情報は多少なりとも特定の歴史観の影響を受けているものでしょう。だからといって歴史は語りえないものかと言うとそうではありません。歴史的事柄に関する情報量を増やすことで歴史観を歴史に肉薄させることは可能です。もちろん情報の信憑性について吟味する必要はありますが。

南京大虐殺、従軍慰安婦、百人斬り事件、在日差別など客観的事実として実際にあったのか、仮にあったとして日本国や日本人にその責任があったのか、それを決定付ける信頼のおける史料があるのか、被害者が可哀想だとか反対に日本人としての誇り云々といった私情を挟むことは歴史を曇らせることとなります。当たり前ですが、これは親日や反日、右や左に関わらず双方に言えることです。

人道的観点からは憚られる主張の場合、やはり被害に遭われた方に対しては面と向かって言いづらい部分もあるでしょうが、歴史を語るにおいてヒューマニズムを持ち出すことは不誠実以外の何ものでもありません。被害者を救うためとはいえ、歴史を動かしてはならないのです。

歴史は人情も誇り何もないただの情報であり、論争によって作られるものではありません。従って現在の「歴史論争」は「歴史観論争」と呼ぶべきであり、どちらの歴史認識を是とするかという異なる歴史観同士の争いなのです。歴史に先立つ歴史観の流布はイデオロギーです。史実を置き去りにして歴史観のみが幅を利かせる現状に我々は常に警戒し、疑いを絶やさぬ必要と責任があります。かく言う私も常に歴史に誠実であることを心掛けていかねばなりません。

それにしても歴史とは何と扱いづらく、何と難しいものか。忠実であろうとすればするほど実態が掴めなくなり、本質は霞んでくるものです。結論としては「歴史は乙女心である」ということに尽きると思います。そこに在りはするが姿は見えず、複雑な乙女心を察知することと歴史の本質を理解することは似通っています。なるほどそうであれば私の流した涙にも合点がゆくというものです。英霊の魂に触れようとする度に、また乙女心を攻略しようとする度に、私は悉く涙しているのですから。恋に玉砕。そんな私に万歳です。

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