皆さん「ポーション」ってご存知ですか?

泣く子も黙る、はたまた夫婦仲の冷えきったはずの旦那も求めてくる、等々その影響の凄まじさを挙げると枚挙に暇がない人気沸騰のファイナルファンタジーというゲームにおいて、キャラクターの体力回復のアイテムとして出てくるらしいんですけど、なんでもその「ポーション」がこの度めでたく実際に商品化されたとか。どうやらオタク臭と腐敗臭の漂うアキバ的ゲーマーのみならず一般人の間でも話題性は爆裂爛漫みたいです。そして肝心の味はと言いますと…

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「こりゃ不味い!こんなんじゃ体力回復どころかむしろ消耗するお♪(キモヲタ風に)」

あるいは

「マッズ!!でも良薬口に苦しという諺もあるにゃん♪(キモヲタ風に)」

などと、賛否両論の色々な評価があるようです。まぁそれらの評価に共通するのはとにかく「美味しくない」ということで、よく考えたら賛否両論というより否単論とも思ったり思わなかったり。

そんなわけで、件の「ポーション」が登場する巷で噂のファイナルファンタジーというゲームなんですが、あれって実際どうなのよ?ファイナルファンタジー1、ファイナルファンタジー2…とあって最新作はファイナルファンタジー12らしいけど、そんなんするくらいならファーストファンタジーの次にセカンドファンタジー作って最終的にファイナルファンタジーってすれば良くね?ファイナルって最後とかそれっきりって意味じゃね?おまえらバカじゃね?
と秘めたる思いの丈をブチまけてみましたが、そんなことはどーでもよくてファイナルファンタジーやドラクエ等をはじめとしたRPGというジャンルについて私なりにわかりやすく説明しますと、プレイヤーの操るキャラクターは冒険の旅に出て道中に出現する敵を倒すことで能力を上げ、ついでにお金を稼ぎ、最終的には地獄の遣いだとか恐怖のバケモノだとかエロい体育教師だとかの悪の親玉を倒すことで世界を救います。基本的には中世ヨーロッパっぽい舞台で、妖精やら魔女やらそんなキャラばっか出てきます。
知識人とか評論家とかの偉いオジサンの主張でよく「RPGはバカのやるゲームだ」なんてのを聞きますが、それも一理ありだと思います。元々用意されたシナリオをなぞっていくだけの作業ですからね。

RPGってヤツは大抵ゲームを始めると、まず最初に王様が出てきて、
王様「勇敢な戦士ミスターMよ!魔王を倒してまいれ!旅の拠点となる西の村で情報を集めるのじゃ!」
とか言われて西の村へ行くと

村人「旅のお方!この村は魔物に狙われています!海岸の塔にいる悪魔の使者をやっつけてください!」

なんてお願いされて、海岸の塔の敵を倒すと

悪魔の使者「グハッ!この俺がやられるとはッ!だが貴様の力では、あのお方に勝てるまい!お方の恐ろしさは港街にいる長老にでも聞くんだな!ウワハハ……ワハハハ…ハ…ガクッ…」

で、そのまま港街に味を伸ばすと

長老「ついに魔王が動きだしたのじゃ~!世界の終わりじゃ~!しかし洞窟に眠る伝説の名剣エクスカリバーを手に入れれば魔王を倒すことができるかもしれぬ!」

と来たもんで、洞窟まで行ってエクスカリバーを入手すると

洞窟の番人「見事だ!ミスターMよ!魔王の城へ向かうがいい!」

と言われるがままに魔王の城へ進んで

魔王「まさかここまで辿り着くとは!しかし貴様の命もコレまでだ!死ね!」

という感じで最後の決戦と相成り、戦いに勝つと

魔王「ぐわぁぁぁ!この私が負けるだと?バカな!この私が…この私がぁぁああ……ぶしゅ~~」

こうして世界に平和が訪れましたとさ。おしまい。

ていう感じで誰彼に指示されて、その通りにやっていくことでお話しを展開させていき、なおかつ次のステップに進むためには何度も同じ作業を繰り返して所持金やレベルをアップさせていかねばならないのです。

「魔王なんて倒したくねぇや!戦士なんてまっぴらゴメン!俺はこの街で一般人として暮らすんだ!」

「まず西の村に行けって言われたけど、海にロマンを感じる俺は今すぐ港街に行きてぇんだ!」

という選択肢は許されません。シナリオが進まず、ゲームが終わりませんから。評論家気取りのオジサンたちに言わせると、そこにプレイヤーの自由意志は存在せず決められた通りの作業を受動的にこなしていくオツカイゲームというところらしいです。

しかし、しかしですよ。プレイヤーに課された規制によってゲームが成り立つというのは別にRPGだけの話じゃありませんがな。

日本がめでたく優勝を飾った先日のWBCですが、ここで野球を例に挙げてみましょう。バッターは飛んでくる玉を全力で打ち返さねばなりません。対するピッチャーは頑張って打たれない玉を投げなければなりません。これらの規制が全て失われたとしましょう。ナインを縛るものは何もありませんから、ある選手はグラウンド上でごろりと昼寝を始め、またある選手はベンチで漫画を読みふけるというふうに各人が自由を謳歌します。これではビタイチ面白くありません。確かに自由ですがなんとも退屈です。

思うに、本当に価値あるものは自由などではないのです。抑圧の規制からくる不自由にこそ大切なモノがあるんじゃないでしょうか。望むものが何でも手に入り、求めるものが何でも叶うとすればこれほどの不幸はなく、選択肢が制限され、行動範囲が規制されるなど課された条件がシビアであればあるほどソコに楽しみや喜びが生まれるのです。そうそう、下流社会なんて糞みたいな本が売れてるみたいですが、野球選手がグラウンドで昼寝することが至福だとかいう脳に怪しげな電極が刺さったみたいな人が有り難がる本ですよ。あれは。
不自由ってとっても素晴らしい。それを実践している第一人者が誰あろうこの私なんです。偉大なる私は来月でカノジョいない歴26年を迎えようとしてますから、もうロンリーライフも円熟味を増してきています。若者やカップルたちで賑わう繁華街でひたすら女子高生の後ろを手鏡片手に憑いてまわる私の姿にはもはや風格すら漂います。もう何を言っても自慢にしか聞こえないでしょうけど、ヤッタのにフラれる…てかラブホでフラれるっつうまるで奇跡みたいな武名を轟かせたりもしていますからね。あとね、例のファイナルファンタジーもやってみたいことですしプレステ2が欲しいわけですが、いま私の財布の中にはガチで230円しか入ってません。札束っぽいのが入ってるかと思えばビッシリと鬼のように詰まったレシートの束です。これじゃプレステに手が出ないどころか小学校の遠足のオヤツも満足に買えない。オヤツの規定金額の300円まで惜しくも届かない。大人の嗜好品であるタバコすら買えない。私ってば、そこらのガキ以上の抑圧をくらっています。

ワ~オワ~オ!もうね、ウキウキしちゃいます。地獄みたいな毎日の緊張感と死にたくなるくらいの爽快感は愉快で堪まりません。実はプレステなど買わずとも日常がスリリングで危険なニオイ漂いまくってるわけで、それだけで最高にシビアでやり込み甲斐のあるゲームなのです。思わず超高層ビルの上から喜びの大ジャンプを決めてやりたくなる、そんな春の午後です。
さて、前述のポーションですが価格は200円とのことで私にもギリで買えるらしく今からコンビニまでちょっと行ってみようかと思います。ゲームの中では傷を癒やすアイテムみたいですが、それってどうなんですか?心の傷にも効きますか?

投稿者 mrm

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