ワールドカップが近付きましたね。この時期になると普段サッカーなんて大して興味ないくせにメディアに影響されて急に騒ぎだすような俄かサッカーファンが湧き出して困ったもんです。そんなに詳しくもないシロウト丸出しのくせに注目のプレーヤーはダレカレだとか優勝候補がドコドコだとかテレビで拾ってきたばかりの即席の知識をひけらかし、ブームに簡単に乗せられる底の浅い人たちには辟易してしまいます。いやね、サッカーを語るならせめて私くらいの知識を備えていただきたい。

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皆さん既にご存知の通り私は「東洋が生んだエースストライカー」あるいは「日出づる国のファンタジスタ」という異名を勝手に自分につけるほどサッカーにはうるさいワケでして、小腹が空いたら「Jリーグチップス」そして私の唯一の友達と言えば「ボール」という一点の疑いもないサッカーフリークです。ていうかサッカーを愛するがゆえに対人関係で完全に失敗してるくらいです。

実はミスターMの「M」はマラドーナを意味してますから、そんな神レベルの私が今回のワールドカップをその辺の浅はかなシロウトどもとは一線を画す完全オリジナルな神視点で予想してみようと思うんですが、まず優勝はドコなのかというのが一番気になるトコロですよね。ここで無知な皆さんにコッソリ教えてあげしょう。

これね。

私の豊富な知識から導き出された優勝候補の最右翼はですね。

実はブラジルです。

まずパスが凄い。

それとシュートも凄い。

そもそもサッカーが上手い。

そしてその中でも最も注目すべき選手を特別に教えちゃいます。

メモの用意はいいですか?

今大会のキーマンとも呼べる選手。

これはですね。

なんとロナウジーニョなんです。

本当にプレーが凄い。

とにかくサッカーが上手い。

あとよく見たら顔がちょっとおもしろい。

いやはや、我ながらさすがは真のサッカーファンと言ったところでしょうか。博識な私の予想があまりにも斬新かつコメントが的確で皆さん衝撃を受けてると思うんですが、スポーツニュースに簡単に感化されて思い付いたまま日記を書いてみたような似非サッカーフリークとはまるで次元が違います。マジで詳しすぎ。

私こそ神!神こそ私!オ~レ~オレオレ俺~♪

そんなわけで今回はサッカーっぽく「神は存在するのか」ということを考えてみようと思うんですね。

「神は存在するのか」と言ったところで「神」とは何なのか、そして「存在する」とはどういうコトなのかを定義しないといけません。神とは「サッカーの神様=ペレ」なのか「天地を創った宗教上の神様=ゴッドとかゼウスとか」なのか。そして「存在する」が「姿カタチがこの世にある=実存」なのか「意識の中にある=概念」なのかで答えは変わります。ペレは確実にいますから神は存在するとも言えますし、この世に無いモノに名前なんてつきませんから神という言葉があるということはつまり神は存在すると言えます。あと漫画ドラゴンボールの中には神様というキャラクターが登場します。

近代以降、特に中途半端に賢い欧米のスカした知識人だとか何だとかの間では「神はいない」というのが定説になりました。この定説を築きあげた偉い人たち、例えばデカルト、ニーチェ、マルクス、サルトルあたりの現代思想の有名人どもはですね、私に言わせればインチキなカルトですよ。いま思いついた最高に面白いダジャレで言えば、デカルトどもはカルトですよ。

歴史を振り返れば、こいつらは「知能第一主義」または「理性万能主義」を唱えて人々を騙したり、地獄のようなヒドイメに遭わせたり等々とんでもないことをしてきました。

そもそも神とは説明できない世界の不思議を解明する手段となったものです。「世界はどうやってできたの?」「僕たちはどこから来たの?」「何故悪いことをしてはいけないの?」これらの不思議をとりあえず解決するために「神様」を根拠として説明したんですね。

で、これにノーを言ったのが先のマヌケな学者たちです。理性こそ大切!知能こそ最強!そんなこと言いますが世界の神秘や不思議を理屈で説明できますか?神は決していないのではなく、要はコイツらの神(つまりキリスト教の神)がインチキだっただけです。

デカルト的人間観や世界観は欧米でしか通用しません。というのも欧米の神は絶対唯一で全てを超越した万能の神です。不可能なことなんてありません。ところがちょっと考えたらそんな無限の力を持つ神などいるはずないことがわかるんですね。ココで私が独自に考えた喩えを披露しちゃいますが、まず神に「どんな盾も貫ける最強の矛をください」とお願いするとします。そして最強の矛をもらったら次に「どんな矛も貫けない最強の盾をください」とお願いします。ここで最強の矛で最強の盾を突いてみましょう。もし貫けなければ矛は最強ではなく貫ければ盾は最強ではありません。どちらの結果にしろ「不可能があった」わけで神の力が及ばなかったことになります。このように普遍の絶対なんてものはなく、絶対(神)とは範囲を限定するなどの特定の条件内だけで存在する限定神なんです。

欧米の有名な学者どもの説く真理は欧米の神を否定しましたが、世界の神を否定することは出来ませんでした。コイツらの言うことは日本の歴史や日本の神には当てはまらないのです。

まず神話の時代から現在まで日本の歴史を貫くシンボル的存在として天皇がいます。日本の宗教(神道)によると天皇は偉い人ですが歴史を見れば最強の絶対的存在ではありません。中世は将軍様が世の中を実質支配してましたし、戦前は天皇機関説なんてのが流行りました。今だって政治的権限のない象徴という位置付けです。しかしかつての権力者が天皇の力を弱めたり利用しようとすることはあっても天皇制そのものをブチ壊すことはありませんでした。

何故かって?

そりゃ神様だからですよ。

しかし日本の神は欧米の神のように権威のゴリ押しはしません。平安時代の藤原氏は天皇の親戚になりましたが自分たちが天皇になることはありませんでした。藤原という名前は天皇からもらったものであり代々天皇家に仕えてきたという歴史の畏怖があったためです。

足利尊氏は建武の新政に反対して後醍醐天皇に反旗を翻しますがさんざんにヤラレます。そこで自分の味方の天皇を新たに立てることで室町幕府成立までこぎつけるのですが、これが南北朝時代の始まりですね。

江戸時代末期になると黒船がやってきたことでの大混乱で幕府では収集がつかなくなくなります。ここで日本はどう出るべきか幕府側が天皇にお伺いをたてます。そして天皇の力を幕府に取り込もうと公武合体を計画します。和宮とかの時代です。

日本はアメリカと戦争して負けてしまいますが、戦後GHQに統治されるようになると軍は解散させられ、マスコミは検閲を受け、憲法も書き換えられます。このようなアメリカによる大改造を喰らいますが天皇制は何故かそのまま受け継がれます。天皇制が無くなれば日本はとんでもないカオスに陥るとマッカーサーが判断したためです。

このように天皇は積極的に何かをせずともただいるだけで何だか不思議な力をモワ~っと発揮しているのです。欧米の神のようにアレコレ命令することもありません。必ずしもみんなに恐れられ有り難がられることもありません。ただいるだけ。

そもそも日本書紀や古事記のように神道に関する記録や物語はあるものの、聖書やコーランのような経典は神道にはないのです。経典がなければ教義もなく、命令することも説教することもありません。やっぱりただいるだけ。

役に立つか否か、認識できるか否かで物事をはかるデカルトのような理性最強説はウソがバレましたし、宗教道徳が弱者の言い訳だというニーチェのような神批判最強説も当てはまりません。マルクスの階級闘争史観最強説も成立せず、サルトルの共産主義最強説も間違ってました。

教科書ナナメ読み程度の日本史を知っとくだけで、欧米的な流行りの思想が必ずしも普遍真理ではないことがわかります。上で言いましたが絶対なんて特定範囲内だけでしか使えませんから。

日本の神様はまぁ偉いことは偉いけど、大して偉くない。一応いることはいるけどそんなにハッキリ役に立たない。てかあんまり怖くない。存在感なんてないくせに絶対になくならない。そもそも説明できない。

外国の神様は一神教にしろ多神教にしろそれなりに偉いわけですが、神道は万物に神が宿ってますから石ころも神と言えば神です。万物が神ということは私たちだって神様です。靖国神社や明治神宮、あと私ん家の隣街にある大宰府天満宮なんかでも実在の人物が神様になっちゃってますし。人間がおり、私がいるとはつまり神はいるということです。神社に熱心に参拝なんてする気はサラサラない私も神がいることだけは認めざるを得ません。

「神はいない!」「理屈が神を超越した!」なんていう人はワールドカップを観てみましょう。試合が終わるまでドチラが勝つかわかりません。シュートもパスもイチかバチかの当てずっぽうで狙って蹴ったシュートが10センチ外れれば、その10センチは神の領域なのです。百発百中のプレーが出来なければ神を否定することは出来ませんが神がいなければサッカーは面白くないと思うのです。

なわけで神は存在しますし恐らく今後も神が死ぬことはないでしょう。ワールドカップでわかります。ボールの行方も神のみぞ知るってトコですが、プレーヤーも観戦してる我々も神ですから。

投稿者 mrm

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